大学病院へ
2021.7.1
紹介された大学病院へ。
午後からの診察なので朝から気持ちが落ち着かなかった。
行くバスの中で大切な友人が落語の「死神」を朗読していたのを聞いていたから、緊張がかなりとけた。
病院の受付で待っていたら、私が持ってきた整形外科からの紹介DVDを受付のPCが読み取って、終わったら「ジャジャーン♫」と言ってたので少しおかしかった。
整形外科で問診票を書き、待っていたら
NHKの番組でフルーツを肴にお酒を飲むというのをやっていて、見ていて面白かった。
こういうので気が紛れる。
ただでさえ病院って緊張するのに、今日が初めてだしね。
中待合室に呼ばれて待っていたら前の人を診察中の先生の声が聞こえた。
かなりの低音。
年配の人なのかな〜?と思ってるうちに呼ばれた。
実際は若いと行っても40歳ぐらいかな?
髪の毛パーマのイケメンの濃ゆい顔の先生だった。
レントゲンを見て、ふむふむと。
手の動きや、先生の手をどれだけ力で返せるかとか、歩かされたり、あのコンコン叩くやつで色んなところ叩かれて動きを見ていて、叩くやつの後ろの尖っているところで足の裏をこすられたり(それが一番痛かった)と、色々やって、色んな事を聞かれた。
怖い感じの先生だったけれど、私の言うことはちゃんと聞いてくれるし、説明もちゃんとしてくれた。
ドラキュラ伯爵みたいな(ドラキュラと言えばオールバックイメージだが、先生は頭はパーマだけど)感じの先生。
とりあえず今のところは、普通に生活はしてもいいと。
気をつけなくては行けないことは?と聞いたら、転ばない、上下を見ない。と教えてくれた。
そして、来月にMRIをやる事に。
それから治療方針決めましょうと。
とりあえず神経痛があるので、神経に効く薬と、痛み止めを出してくれた。
はぁ、この先どうなるんだろう。
そんな感じだった。
とりあえず普通に生活はしてもいいなら、少し安心かなぁ。
いきなり手術とかではないし。
帰りに病院の七夕の短冊に
病気が早く治りますように。会いたい人に会えますように。
と書きました。
よく見ると皆さん病気が良くなりますようにと書いていた。
これだけの思いがここにあるんだと思った。
私も負けずに頑張ろう。
新しい整形外科に
2021.6.30
今年の1月から五十肩になり、すごく痛かったので5年前から首と右肘の注射をしてもらっているS整形外科へ。
そこで、五十肩の注射の治療が始まり、毎回行くと注射をされていました。
注射と電気治療です。
しかし半年経っても良くならず、流れ作業的な治療方法にも納得行かず、T整形外科に行く事にしました。
そこで以前よりSでも診ていてもらっていた、首と右肘も診てもらう事に。
はじめての病院はドキドキ。
問診票に今までの経過を全部書いて、診察を待っていました。
まずはレントゲン。
首と肩と右肘で何枚か撮りました。
そして診察。
先生が「まず首ですが」とレントゲンを見せてくれました。
そして「これは難病指定されている、後縦靭帯骨化症ですね」と
首の脊椎の靭帯が骨化していると教えてくれました。
そして大学病院を紹介してくれ、五十肩はリハビリで治すことに。
右肘は衝撃波治療を勧められました。
しかし衝撃波は高いのでエルボーバンドなどで様子見る事に。
後縦靭帯骨化症と言われ、なんだかよくわからず診察室を出て、すぐにスマホで調べようとしましたが、肩の電気治療やリハビリの説明や紹介状の受け取りで調べられないまま、心の中ではとても不安でした。
先生が「上見たり下見たりしないでね、あと転ばないでね」と言っていたので、薬局に行くにもそろそろ歩いて行きました。
薬局で薬を待つ間にスマホで調べましたが、手足が動かなくなるや、手術や怖いことばかり書いてあり、どうなってしまうのだろう?
という気持ちでした。
帰りのバスで、たろさん(主人)にLINEしてとりあえず帰りました。
そして、その日に大学病院に電話すると、すぐ翌日の予約が取れました。
子どもたちには首の検査を大学病院でするとだけ言いました。
ちなみに我が家の子どもたちは、三つ子でもう成人しています。
娘は2年前にお嫁に行っているので、男の子2人が家にいます。
家に帰ってからも色々調べました。
たろさんは私が落ち込まないように、明るく接してくれ「おばあちゃん病だね」と笑ってくれたので、私も少し気持ちが落ち着きましたが、これから病院代などで色々費用がかかると思ったら申し訳ない気持ちになりました。
確かに今までも足や首が痛かったり、指先がうまく動かなかったり、手の震えなどがありました。
これも全部、歳のせいだと思っていましたが、それが原因なのかもしれないなぁと。
さて、私はどうなるのでしょう。
#闘病日記 #後縦靭帯骨化症